2010年07月12日

スカイ・プリズム

sky.jpg ‘72年頃、幾つかの独奏楽器のための作品を書いた。そのうちの「リンの歌」と、この「スカイ・プリズム」には共通したコンセプトがあった。音が空間に浮遊していて、演奏者はその音たちとどうふれ合い、生かし合うかによって、初めて音がつながり“音楽”になっていくということだった。つまり全て音を固定(任意の音を作曲者が記す)してしまうのではなく、大気のなかに既にある音に気が付き呼び起こす、というコンセプトなのだ。(※楽譜参照/クリックすると大きな画像が見られます)

 三角柱の三つの柱に、それぞれ音の指定がある。そのなかに記された音は、三角柱がつくられることにより、そのなかで浮かんでいることに気が付く。それを、どの柱の間から音とふれるかにより、音程は変わってくる。プリズムのなかの点や曲線を見ると、そのプリズムが回ることにより、また柱と柱の指定音が替わることにより、音たちは瞬時に変化していく。それを演奏者はふれ合い、音として呼び起こしていくのだ。

 一つの線や、その線により生まれる像の再生ではない。点描やフレーズとしてつながった線の像が複数混在していて、その複数の像を同時に組み立ててみることにより、第三の像として私たちに聞こえてくるようになっている。それは何役もの台詞を一人が同時に喋り、全体で何の世界を描いているか、人それぞれが自然(の音)と交流される時に、同化できるようになっている。

 音は大気のなかに無数ある。そこに“窓関数”を設定すると、そのなかの音たちの自在な動きを知ることができる。その一部にふれることが音楽の誕生を意味し、組み立てられていくことにより、個の世界を超えた音たちと誰もが共有できることが核になっているのだ。

 それは作曲家が自分の個性・感性で書きとめ、それを再現し人びとと共有する従来の“創作”とは、大きな隔たりがあった。この種の音楽(楽譜を含め)は、どこにもない珍しいコンセプトとして提示させている。’70年代の特徴だけではない、音楽のあり方そのものも問うているのだが、しかし現在まで40年近く経っても、誰からも何の評価を受けないままでいる。

 坪能の「たった一つの音」から、音楽を組み立てていく世界が、これらのシリーズの前にあり、このコンセプトと、更に「呼応」しながら音世界を展開させる独特な表現方法は、その後様々な音楽を生み出していくのだが、作品群のベースはここにあったのだ。
posted by 坪能克裕 at 00:00| 作曲

2010年07月01日

「リンの詩」の楽譜について

rin-no-uta.jpg HPの表紙、円形の図形で記されているのが“リンの詩(うた)”の楽譜です。“花マル”のようです。中心から外に輪が拡がっていて、花マルのなかの絵は輪郭を越えて描かれています。演奏者はその輪に音を順次指定しながら時計回りに演奏していきます。

 輪の中心から順に、ド・ミ・ソと仮に指定すると、金魚鉢のような中に図形が浮いてき、図形とそれに伴う音の位置が明確になります。指定したドの音をオクターブ上げると(中心の底にあった輪が一番上に位置して)、中の図形はそれまでとは異なり、図形の表情や音の位置も変わっていきます。

 演奏者は、金魚鉢の中で音に触れ合うか、外から鉢の中を見た音と触れ合うか、いずれにしても浮遊する音たちと対話することになります。更に、事前に録音した音たちとも“反応”しながら対話をふくらませていきます。その反応には、左右のチャンネルからの指定がありますが、演奏者の選択に委ねられています。

 地球から見た星たちと、銀河の中心から見た星たちとでは、同じ星たちの“星座”の図形も変わるように、さまざまな星(音)たちとの組み合わせにより、演奏者は自在に対話ができるようになっています。

 音楽に於ける「対話」というコンセプト自体の創造と、自然との一体感を持つ手だてとして、私は興味がありました。


 72年9月・作曲。同年10月25日「篠崎史子・ハープの個展 I 」(東京文化会館・小)で初演。
posted by 坪能克裕 at 00:00| 作曲