2010年09月10日

万華譜(まんげふ)

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 図形楽譜が続き、五線紙に記した音楽は二の次?と思われるかも知れませんが、そうではありません。共通するコンセプトなので、まとめただけです。

 この楽譜は、四角い紙1枚に書かれています。縦・横に線が等間隔に記されているのは、音程や時間を表しています。そのなかに音を生み出す印が付けられています。

 1枚の楽譜を、縦・横に、逆さまな縦・横にと、4通りの方法を任意の組み合わせで繰り返し演奏できるようになっています。

 音の高さを、下から順に付けていくと、五線紙のドミソのような空間になると思われますが、ドよりソの方を低く設定すると、なかの音の位置を、どこから見るかによって替わってきます。

 また、時間も均等な指定でなく、早く・遅く・中間の早さなどに設定すると、音の長さが(見た目の図形から)替わってきます。

 それらを絶えず変化(演奏者が指定)させて、4通り(上下左右)の見方から、音とふれて行きます。

 これらのコンセプトは、”柔構造”による音楽的な”対話”への「ワク」の提供だということです。デタラメではありません。演奏者の即興に委ねただけではありません。相手が語る音を聴き、自分がふれ合う音たちと、同時に『対話』していくことに意味があるのです。それは逆に、このような楽譜でないと、生まれない世界でもあります。

 この曲は元来、邦楽器と打楽器のような、二種類の楽器によって演奏されます。楽器を替えて演奏することも可能です。

 万華鏡を覗くように、千変万化の音たちとふれ合える譜、という意味があります。

 現在この種の作曲はしていませんが”音楽づくり”のワークショップなどで使っています。そう仕掛けが分かると、子どもを含めた参加者が、それぞれの”万華譜“を記し、演奏可能だからです。
posted by 坪能克裕 at 00:00| 作曲

2010年08月13日

オカリナのためのコンベンション

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 この作品は、インストラクション(注釈書)のみで記されている。

 どんな設定で、誰と何を話し合うか、という“ルール”があるだけだ。

 子どもから高齢者まで、オカリナを初めて奏するひとも、現代音楽って何?というひとまで、誰もが演奏に加われることが特徴だ。

 要は、遠方から中央(ステージなど)に集まり、語り合い(応答)、また遠方に帰って行く、という簡単な設定があるだけだ。その語り合いも、超絶技巧に聞こえるが、実際は両手の指を「早く動かす」だけだ。オカリナの穴を不規則に開けたり、押さえたりしていることになる。その動作は相手の会話に相づち打つようになっているから、モニョモニョ語の会話は、ちょうど“小鳥たち”の会話のようにも聞こえる。

 サンプルとして・・・会場の外で、全員が会場を囲むようにして始まる。聞こえる相手の音に“ハウリング”(音が溶けずにぶつかり、ビリビリ響く)するように、近づく仲間のお互いの音を聴き合い、自分の存在も確認して、中央に歩んで行く。ドアを開け、演奏者は順次中央に集まっていく。[会場で聴いていると、電線に風が当たるようなヒューヒューとした音に]

 ステージなどの中央に集まると、任意の組み合わせによる、仲間たちの会話(会議)が始まる。ピピピチピチュピチュピッピッピヨピチョ、そこかしこで対話が行われる。[真に小鳥たちの会話に聞こえる] そして合議に達して、三々五々元の場所へ帰っていく・・・
 
 ここでは「みんなと合わせる」(同じことを、各自の持っている技量に合わせて)こと、自分の音が相手と「交流」できること、そしてルールに従った時間や方法により、個性的な「会話」が楽しめること、などが音楽の構造を支えている。人数は任意だが、30名ほどの参加を想定した。

 再演がある山寺で行われた。演奏が始まると、竹林がそよぎ、鳥が鳴き、自然と一体になった奇妙な世界が沸き起こった、ということだ。
posted by 坪能克裕 at 00:00| 作曲

2010年08月01日

クリエーション I

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 ‘69年、「管楽八重奏曲」を発表した頃、「クリエーション・シリーズ」の作曲を始めた。翌年に掛けて計4曲書いた。最初の、5本のトロンボーンためのT番は、作曲・作曲家のコンセプトを揺るがす根本的な問題を含んでいた。
 冒頭、全員が同じことを演奏する。最低音と最高音により「みんなと合わせる」ことが意図されていた。

 次に、一つの音に幾つかのフィギュアを伴った音を順次演奏していく。それはその後音楽を生み出す“サンプル”にもなっている。

 そして、五人の奏者は、フィギュアを伴った音を、指定された音で“聴き合いながら”「模倣」したり、「反抗」したり、相手と「コール&レスポンス」することにより、音楽を生み出していく。二人で、三人で対話が始まり、基の音型から「組み合わせ」「つなげていく」・・・

 これって何だろう?「音楽づくりワークショップ」と同じ原理だろう。41年前から、演奏家と「音楽づくり」を、リハーサルから本番も含め、私は実践してきたことになる。

 音楽の基本的なワクをつくり、ルールを設定し、その場で音楽をつくることになっている。だから一見「ちゃんと書いてない」ように思われる。そして即興が求められるが、デタラメではない。どこまで書くか?問題になる。その場で音楽をつくるのでは「作曲家」の役割を逸脱していないか?ギリギリのラインで現代音楽の根元的な「作曲」のコンセプトが投げられていた。

 U番は、管楽器のアンサンブルに、日常的な音楽空間を設定(歌手の発声練習)、もう一つの夾雑物として町の“焼き芋屋”の音が混然一体となり「同化」したり「異化」したりして、全体で“音楽”のひろばがつくられていく。<日米現代音楽祭・参加>

 V番は、ピッコロとチューバと審判による「音楽づくり」。異質な楽器の組み合わせとその音、音楽が生まれる瞬間の緊張やアクションは爆笑を誘った。<日独現代音楽祭・参加>

 W番は、吹奏楽で行ったが、編成が大きすぎて、細かいところの理解まで到らなかった。

 その後、弦楽アンサンブルで、ひとの形態も加え、舞台一面で音楽が生み出された・・・散々な結果や評価だったが、その時一人の作曲家が激賞した。
 怒ったような表情で、凄い、素晴らしい、と・・・評価はそれだけで、それ以外誰にも評価されず、現在まで全て忘却の彼方に飛んだままだった。

 「彼の作品は“クリエーション”って言うんだぜ」。外国人音楽家に意味深に通訳して、笑った仲間がいた。別に宗教的な意味はない。「つくる」という根元的な意味があるだけだ。また作曲家への否定や挑発ではないが、「作曲」で独自な道をここから歩む“宣言”でもあったと思っている。

 公式の演奏会も含め、当時の東京音楽大学の演奏家諸氏が協力してくれた。今なお感謝している。
posted by 坪能克裕 at 00:00| 作曲

2010年07月12日

スカイ・プリズム

sky.jpg ‘72年頃、幾つかの独奏楽器のための作品を書いた。そのうちの「リンの歌」と、この「スカイ・プリズム」には共通したコンセプトがあった。音が空間に浮遊していて、演奏者はその音たちとどうふれ合い、生かし合うかによって、初めて音がつながり“音楽”になっていくということだった。つまり全て音を固定(任意の音を作曲者が記す)してしまうのではなく、大気のなかに既にある音に気が付き呼び起こす、というコンセプトなのだ。(※楽譜参照/クリックすると大きな画像が見られます)

 三角柱の三つの柱に、それぞれ音の指定がある。そのなかに記された音は、三角柱がつくられることにより、そのなかで浮かんでいることに気が付く。それを、どの柱の間から音とふれるかにより、音程は変わってくる。プリズムのなかの点や曲線を見ると、そのプリズムが回ることにより、また柱と柱の指定音が替わることにより、音たちは瞬時に変化していく。それを演奏者はふれ合い、音として呼び起こしていくのだ。

 一つの線や、その線により生まれる像の再生ではない。点描やフレーズとしてつながった線の像が複数混在していて、その複数の像を同時に組み立ててみることにより、第三の像として私たちに聞こえてくるようになっている。それは何役もの台詞を一人が同時に喋り、全体で何の世界を描いているか、人それぞれが自然(の音)と交流される時に、同化できるようになっている。

 音は大気のなかに無数ある。そこに“窓関数”を設定すると、そのなかの音たちの自在な動きを知ることができる。その一部にふれることが音楽の誕生を意味し、組み立てられていくことにより、個の世界を超えた音たちと誰もが共有できることが核になっているのだ。

 それは作曲家が自分の個性・感性で書きとめ、それを再現し人びとと共有する従来の“創作”とは、大きな隔たりがあった。この種の音楽(楽譜を含め)は、どこにもない珍しいコンセプトとして提示させている。’70年代の特徴だけではない、音楽のあり方そのものも問うているのだが、しかし現在まで40年近く経っても、誰からも何の評価を受けないままでいる。

 坪能の「たった一つの音」から、音楽を組み立てていく世界が、これらのシリーズの前にあり、このコンセプトと、更に「呼応」しながら音世界を展開させる独特な表現方法は、その後様々な音楽を生み出していくのだが、作品群のベースはここにあったのだ。
posted by 坪能克裕 at 00:00| 作曲

2010年07月01日

「リンの詩」の楽譜について

rin-no-uta.jpg HPの表紙、円形の図形で記されているのが“リンの詩(うた)”の楽譜です。“花マル”のようです。中心から外に輪が拡がっていて、花マルのなかの絵は輪郭を越えて描かれています。演奏者はその輪に音を順次指定しながら時計回りに演奏していきます。

 輪の中心から順に、ド・ミ・ソと仮に指定すると、金魚鉢のような中に図形が浮いてき、図形とそれに伴う音の位置が明確になります。指定したドの音をオクターブ上げると(中心の底にあった輪が一番上に位置して)、中の図形はそれまでとは異なり、図形の表情や音の位置も変わっていきます。

 演奏者は、金魚鉢の中で音に触れ合うか、外から鉢の中を見た音と触れ合うか、いずれにしても浮遊する音たちと対話することになります。更に、事前に録音した音たちとも“反応”しながら対話をふくらませていきます。その反応には、左右のチャンネルからの指定がありますが、演奏者の選択に委ねられています。

 地球から見た星たちと、銀河の中心から見た星たちとでは、同じ星たちの“星座”の図形も変わるように、さまざまな星(音)たちとの組み合わせにより、演奏者は自在に対話ができるようになっています。

 音楽に於ける「対話」というコンセプト自体の創造と、自然との一体感を持つ手だてとして、私は興味がありました。


 72年9月・作曲。同年10月25日「篠崎史子・ハープの個展 I 」(東京文化会館・小)で初演。
posted by 坪能克裕 at 00:00| 作曲